お誕生日と七五三の思い出

スタッフトーク

こんにちは。
前橋市中央通りにあります、小川屋の中村です!

今までもちょこちょこ出しておりましたが、
先日、誕生日を迎えました!
どこに出しても明らかな、立派なアラサーの仲間入りです。
この場合の立派は『素晴らしい』『堂々たる』といった意味ではなく、
『十分な』の意味でお願いします。
言い換えれば、どこに出しても明らかな十分なアラサーの仲間入りです。
ということですね、つまりはただのおおよその年齢暴露です。

自分への誕生日プレゼント、として、
今まではあまり買わなかったタイプの洋服を買ったり、
(年齢的なものを考えながら新しい洋服を買いました)
小説と漫画を大量に大人買いしたり、
(自分のためにと大盤振る舞いをしたら、すごい金額になりました)
かなり楽しく過ごしました。
…けれど、買ってきた本をほとんど全部読み切ってしまったので、
なんだかちょっと、物足りない気分になっています。
もう少し買っても良かったかな…いやでも金額が…というジレンマですね。
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幼少期、兄の持っていたお弁当箱とも言われるゲームボーイに憧れ、
小学校低学年では、デジモンごっこでヤマト役をし、
小学校高学年で、モーニング娘。が流行り、
中学校時代はクラスメイトの『以心伝心』を聞いて育った私です。
HYとか流行りました、『366日』と『AM11:00』。
サスケの『青いベンチ』もよくクラスで誰かしらが歌っていましたね。
とても懐かしいですが、自分で歌ったことがないせいで、ふんわりとしか覚えていません。
サビの頭を聞いたらなんとなく一説が思い出せるかな、くらいです。
懐かしいなぁ…と感じてはいるのですが、
同時に何年前だっけなぁ…という計算が曖昧になってきます。
中学1年生での出来事だったか、それとも3年生だったか…。

ちなみに、高校時代はめちゃくちゃ楽しかったです。
中学校までが楽しくなかったわけではないのですが、
高校は完全に別次元の楽しさでした…。
私の少ない語彙では表しきれないくらい楽しかったです。
ちなみに大学時代は今とあまり変わらないのでそっと流しておきますね。
…っていうと、あまり私が成長していないみたいで、
なんだか、自分で言っていて妙な気分になってしまいますが、
今までのくくりから外に出て色々経験できたのは大学時代でした。
初一人暮らし、初バイト、初海外!
完全に手探りで色々体験できた時期だったので、
その意味ではかなり楽しんでいたと思います。
授業を自分で組むっていうのも楽しかったです。
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でも、そう言った学校や友達を除いた家族の思い出に限定すると、
家にいる=体調不良の思い出か、長期休暇の思い出ばかりです。
そんななかでも異彩を放つのが七五三の写真撮影です。
3歳のお祝いは、兄の5歳に合わせて行ったこともあり、
私は2歳で、残念ながら記憶はなく、母に話を聞いて知っていることだけです。
なぜか人差し指が立っている一人の写真を見ても、何も思い出せません。
7歳のときは撮影していた時のめちゃくちゃ緊張していた記憶が残ってます。
写真を見ると、ああこの時!となりますし、
自分の中で、本当に緊張していたのだな、と。
あと、7歳だと歯が抜けるというのと、身長も高かったので、6歳でした。

それ以降の記念写真もなんとなく覚えています。
私の中学入学と兄の高校入学の記念写真だとか、
成人式、卒業式…はまだ比較的近いので、詳細もある程度思い出せます。
一番最近の記念撮影は、兄の結婚式の親族撮影ですけど。
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そういえば、7歳のときに関しては着物を選ぶ時の記憶もがっしり残ってます。
エメラルドグリーンが好きだった頃なのですが、
(誕生石の存在を知って、それがエメラルドだというのを知ったからでした)
私の考えるそのものの色の着物があったんです。
暗めのエメラルドグリーンに裾の方が黒いグラデーションでした。
ので、見た瞬間に「これ」と…母親と祖母が「赤もあるよ」「オレンジも」「ピンクも」
なんて声をかけてくれたのですが、断固として「これ」と。
一生懸命に「その色は成人式でも着られるよ」とか「もっと明るい色でも」とか
話しかけられていた記憶はあります、けれど断固として「これがいい!」と一貫しておりました。
皆様のご家庭もそうなる可能性がございますので、
できるなら3歳でお母様たちのご希望を着せていただくことをお勧めいたします。

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